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コミュニティ名=【d-tech代表のブログ】

2017/06/07/ 19:25:35初回投稿
2017/08/08/ 12:14:41更新
投稿番号:8  状態:3

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  オカネとコトバの不思議(追記8) 00000006 2012年02月15日
  オカネとコトバの不思議(追記8) 00000006 2012年02月15日 北村拓郎

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 世の中に不思議なことは、いろいろありますが、貨幣(お金)現象と「ことば」現象も、むかしからありながら、その本質はいまもわからず、将来がどうなるのかもわかりません。
 
 オカネとコトバは、深く関連しあっていて、つぎのような共通点があり、いっぽうの不思議が解明されれば、他方も解明されるかもしれません(永遠に解明はされないとしてもITは解明に近づくための有力なツールかもしれません)。

 ・人間社会に、自然発生的に現れ(動物にはみられない、人間社会特有の社会現象)、いまも変化しながら継続している。
 ・国家の発達と関連があるが、必ずしも国家を必要としない。
 ・人間の性質(大脳の発達)と関連があるが、だれか特定の人やグループによる発明ではない。
 ・人間の信用/信頼に、支えられており、その論理的な基礎は循環論法(堂々巡りで、理窟に合わない一種の不条理)に基づく(お金は、お金だからお金である、あるいは、机は机だから、机である)。
 ・社会の事情に応じて、複数の制度(お金の種類や、ことばの種類)がある。
 ・これらの種類の間で、換算や翻訳が行われる。
 ・人間の意図的な制度の改革や制御が難しい(例:国際通貨制度の混乱や、エスペラントの試みの失敗)。

 いまでは、ITは、お金が関係する多くのデータ処理(表計算や事務手続きなど)に利用され、ことばが必要な日常生活に(ワープロや、ネット検索など)、いろいろと役立っていますが、貨幣と「ことば」の根本的な成り立ちの原理や、将来の動向がわかっていません。ITが、この解明に少しでも近づくツールとして、期待されます(自然現象が、完全に解明されることはないように、これらの社会現象も完全に解明されないで、お金と「ことば」に支えられているいまの人間社会が不適切なシステムの運用により、自然消滅することもありうるかもしれません)。

 以上について、引き続き、少し具体的に考察していきましょう。

 続く

 北村 拓郎 平成24年2月

 





  オカネとコトバの媒体 00000006 2012年06月01日 北村拓郎

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 オカネとコトバは、情報のかたまりです。情報には、物理的な媒体が必要です。

お金の媒体は、紙幣であったり、デジタル媒体であったりします(銀行などのデジタル記憶)。コトバの媒体は、声であったり、印刷物であったり、脳細胞です。

 情報には意味と意義があります(意味は他の情報の関係と構造を表しますが、意義は情報の目的や存在理由などを表します)。媒体が違っても、情報の意義と意味が同じように保たれます。

 お金の情報の1,000円は、紙幣であってもデジタル情報であっても情報の意義と意味は同じです。

 コトバでは、手話やモールス信号であっても、同じような意味と意義をを保って、やり取りができますが、声には、特有の個性や印象などの情報が付随し、完全に同じではありません。

 媒体はある意味では、単なる媒体に過ぎません。しかし、媒体のありかたによって、使い勝手が、大きく違います。オカネは、デジタル記憶によって、取引業務が支えられています。コトバは、インターネットのサイトで活用され、社会活動に大きな影響を与えています。

 続く

 平成24年6月

 北村 拓郎

 

 
 




  オカネとコトバの起源 00000006 2012年06月02日 北村拓郎

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 オカネとコトバの起源については、有史以前のことのようで、定かなことはわかりません。残されているわずかの痕跡(未開の原住民の現状も含めて)から、推察されているのが現状のようです。

 オカネは(当初は貴金属や、必需品などが媒体)、むかし、共同体と共同体(部族など)の間の取引(交易など)に利用され、共同体内部では、使われていないようでした。かっての共同体が解体され、共同体に換わって、さまざまの擬似共同体(共同体の一部の機能を引き継いで)といえる組織体(企業や、政府/自治体など)が、作られました。オカネの有効性がだんだん明らかになり(当初は宗教的な寄進などの形で、ついで、経済活動一般に)、広く使われるようになりました。いまでは、共同体としては、家族だけが残されており、家族内では、オカネは、例外的にしか使われていません(家族が、オカネのやり取りの単位となる)。いまでも、お布施や、賽銭などで、オカネは、普通に使われています。

 コトバは、当初、鳥のさえずりのようなものだったでしょう(なにかの合図など)。社会生活が複雑になるにつれ、コトバも、徐々に、複雑になり、論理思考なども芽生え、生理的な発達(発声機構など)も伴って、現状のコトバに発達していったと思われます。いずれにしても、環境の変化に伴う、必要性があってのことだと思われます。

 複雑なコトバの必要性は、共同体内部よりも、共同体間の交流によって、高まり、文字が出現し、現状があります。コトバなしには(文字の読み書きも含めて)、現代の社会生活は、営めません。しかし、いまでも、家庭の内部では、書き言葉の必要性は、それほど高くありません。

 このように必要性があってのことではあっても、現状の人類のどの民族や人種も、ほぼ同じような構成の音声(媒体)によるコトバをもっていることは、現生人類の起源が、同一の仲間であったことをうかがわせます。なぜなら、コトバは、鳥のさえずりが高度化した音楽のようなハミングなど、他の形態であってもよかったのです(いったん、コトバが現状の発音の方向に進むと他の方法は廃れました)。他の方向に進もうとした他の人類は(滅亡したネアンデルタール人は、一説によると、音の高低やメロディによるハミングのようなコトバを話していたという)たまたま、厳しい自然環境のもとで、亡びてしまったのですが、現生人類が亡び、ネアンデアタール人が生き延びていても不思議ではありません。

 オカネもコトバも歴史的な産物です。昨日、今日、明日と続き、よほどのことがない限り、断絶することはありません。

 続く

 平成24年6月

 北村 拓郎

 




  オカネの成り立ち 00000006 2012年06月03日 北村拓郎

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 オカネの単位は、たとえば、1円であり、大きさは、数字(1から無限大までの自然数)であります。きわめて単純な表し方です。しかし、その背後にある意味と仕組みは、きわめて豊富で複雑です。その内容に経済活動(オカネによる取引活動を伴う)のすべてが凝縮されて含まれているといっていいでしょう。

 オカネは、もともと共同体間の取引に用いられましたが、現代社会では共同体は縮小され、解体され、共同体から、さまざまの組織体が作られ、共同体として残るところは、家族だけになりました(一部では家族さえも解体されそうになっています)。経済活動とは、共同体あるいは組織体(企業や公共機関など)間の取引関係です(現代では物々交換はごくわずかで、大部分はオカネによる取引です)。分業が、盛んになり、もちは餅屋の専門化が進み(共同体からいろいろな組織体が作られ、オカネによる取引が行われますが結局は、給与や、配当や、所有権という形で、取引の単位である共同体(家族)間での取引に還元されます)、日々の暮らしの上で、経済活動の比重が、ますます高くなりました。

 経済活動に伴う、いろいろな動きを数字(オカネ)と論理思考で、ひとつの数学のように、経済学が作られます。しかし、経済は生き物ということで、経済学と現実の経済活動との開きは、大きいようです。つまり、経済学ではコンピューターシミュレーションなども活用されますが、経済活動の仕組みは、わからないことが多く、将来の予測なども、あたらないことが多いようです。一方、現実の経済活動は問題も多いようですが、たびたびの経済危機を乗り越えて、オカネの役割はますます拡大しているようです。

 オカネは、なぜオカネとして、流通するのかが不思議です。オカネが流通するのは、人々の信用に支えられているからです。オカネ(紙幣など)が、将来も同じように流通すると思っているから、いま、紙切れ(紙幣)を受け取り、将来も使うことを想定するのです。何かの理由で、この信用(思い)がなくなると、悪性インフレや、恐慌、大不況が起こります。この仕組みの解明と将来の予測は、ひとびとの心理(将来不安や、思惑)が大きく関連していて、十分にできないのが、現在の経済学の状況のようです。悪性インフレや、大恐慌は、ひとびとに広まる一種の社会的ヒステリーとも言えると思います。現在のリーマンショックや、ユーロ危機は、前世紀のドイツや日本の悪性インフレや、アメリカから始まった世界恐慌の一歩手前かもしれません。

 このような混乱の一因は、心理的な問題だとすると、適切で、迅速な情報交流(たとえば、SNSや、Webサイトを利用した)が、きわめて有効かもしれません。しかしそのためには、いろいろな条件整備が前提となるでしょう。

 続く

平成24年6月

 北村 拓郎
 
 




  コトバの成り立ち 00000006 2012年06月05日 北村拓郎

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 コトバは、比較的少ない音素あるいは、文字からなります。しかし、これらの無限の組み合わせにより、無限の(数字とおなじように)意味のある文章を表現することができます。表現の背後にある意味と仕組みは(同じような表現が、文脈や、状況でかわるなど)、きわめて豊富で複雑です。その内容に多くの人間生活(経済活動も含む)が凝縮されて含まれているといっていいでしょう。

 コトバぱ、もともと音声で、耳で聞こえる範囲で始まりましたが、その後、文字でも記録伝承され(数字も文字の1種です)、現代社会の隅々まで、行き届いています。自然のコトバは、使い方、内容、その他で、状況や時代によって変幻自在に変化するのが特徴です(人工言語には、このような変幻自在性はありません)。コトバがなぜ変幻自在に変わるのかは、状況や時代が変幻自在に変わるからです。コトバの背後には、表現したい何かがあり、その何かが変わるからです。その何かが何であるかわからないこともたくさんありますので、コトバの本質が何であるかもわかっていません。コトバの文章には、文法があり、単語には意味があるといわれます。しかし、論理的に突き詰めていくと堂々めぐりになり、机は机だという同語反復になります。コンピューターは、一部のコトバの自動翻訳などを試みていますが、限定的なことしかできていません。 

 コトバが、なぜコトバとして、通用するのかが不思議です。コトバが通用するのは、人々の信用に支えられているからです。自分が表現したコトバを世間や相手が、理解し、わかってくれると信用し、思うことができるからです。コトバを、信用することができなくなると個人間での人間関係の喪失や、社会全体のヒステリー状態や、国家間では、戦争状態に発展することもあります。政治は、コトバで動きます。コトバが信用できなくなるとき、政治の混乱が起こります。コトバに対する信用、信頼の喪失が何故おきるのか、どうしたら、確実に防ぐことができるのかは、わかっていません。「綸言汗のごとき」という格言がある一方、「君子豹変す」という相反するような格言があります。

 コトバもオカネも表象です。その背後には、表象される実体があります。これらの不思議を解明するためには、実体に対するさらに踏み込んだ考察が必要になります。




 続く

平成24年6月

 北村 拓郎






  換算と翻訳 00000006 2012年06月05日 北村拓郎

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 複数の通貨の間で換算ができます。また、複数のコトバの間で、翻訳ができます。このことは何を意味するのでしょうか?換算や翻訳ができるということは、それぞれのオカネや、コトバの表現方法はいろいろあっても、表現すべき内容は、同じ機能、同じ意味、同じ構造を持っているということです。しかし、これは、理想的な状況であって、実際的な制約はいろいろと考えられます。換算や、翻訳には、コストと時間がかかります。

 ITによるデジタル通貨(紙幣をさらに置き換える)や、自動翻訳(あるいはITにたすけられた翻訳)が、この問題の解決を容易にする可能性があります。ユーロのように、通貨を統一する必要性や、国際言語(たとえば英語の共通国際言語化)の必要性が少なくなるかもしれません。

 オカネやコトバの表現方法の統一が重要ではなく、表現すべき内容の本質を考えての、貿易や、国際交流を通じた経済や、生活の改善に取り組むことがより重要でしょう。

 続く

 平成24年6月

 北村 拓郎




  オカネとコトバの未来 00000006 2012年06月06日 北村拓郎

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 オカネとコトバには、不思議なことがたくさんあり、現状では未来を予測することは難しいのですが、経済危機が緩和され、険悪な世相にストップがかかる可能性について、考えて見ましょう。
 ・オカネとコトバの役割は、どう変化するのか?
 ・統一通貨や、統一言語は、どうなるのか?
 ・ITは、どう役立つのか?
 ・経済学や、言語学がどうなるのか?

・オカネとコトバの役割は、どう変化するのか?

 当面は、オカネの役割と重要性はますます大きくなると思われますが、つぎのように、転換点が、訪れるかもしれません。

 かなりさきのことですが、いずれ、世界の人口が減少方向に転じ(日本では、すでに減少に転じた)、GDPも減少に転じるでしょう。これに加えて、共同体の規模と役割が大きくなる方向に世の中が動き、家族の規模が大きくなり、複数家族(必ずしも血縁とは限らず、法整備も行われる)が、ひとつの共同体になるでしょう(共同体の内部では、オカネは、必要でありません)。
 GDPはますます減少し、ひとびとの活動の多くが、経済活動とは限らない、たとえば、ボランティア活動、趣味や遊びや学習の活動、共同体のなかでの活動が多くなる。
 報酬を求めての経済活動の必要性が少なくなるでしょう(共同体の一部のメンバーが、経済活動をしなくてもよいなど)。

 人々は、極端な分業から開放され、自給自足的に生活できる要素が多くなる(たとえば、食料は、太陽や空気と天然水の自然環境から、共同体で自足できるなど)。このような趨勢に応じて、経済活動の比重は少なくなっていくでしょう(世の中全体では、オカネの役割も少なくなる)。

 コトバは、社会生活や個人生活で、当面ますます大きな役割を占めるようになるでしょうが、つぎのように、転換点が、訪れるかもしれません。

 科学技術は、ますます進歩し、GDPはますます減少し、生活基盤が、激変し、ひとびとの考え方が大きく変化するでしょう。共同体(共同体では、余計な不安や、猜疑心が不要になるなど)の比重が高まって、コトバ以外の意思疎通の方法、思考方法が、新しく広まってくる(音楽や、脳機械インターフェースBMI技術、その他)。

 以上のように、今後、いったんは、共同体の解体が、ますます進み、最後の共同体の家族が、少子化などで、解体の危機となりますが、複数家族を核とした共同体が、再生復活して、オカネとコトバの様相が、大きく変貌するかもしれません。

 ここで、豊かさと貧しさについて述べておきます。よく、1日あたり、100円以下の生活をしている貧しい国の人々などといわれることが、ありますが、この人々が、一概に貧しいとはいえません。共同体でほとんど自給自足の生活をしている場合には、オカネはさほど必要としません。あるいは、饒舌な虚飾に満ちた、コトバを必要とせず、豊かな生活をしているかもしれないからです。共同体が昔のように復活し、一定の条件が備われば、GDPが少なくても、豊かで、より人間らしい生活が期待できるかもしれません。いまの社会保障の整備や、セーフティネットの整備は、大部分、共同体の役割になるでしょうが、GDPは、大きく減少します。

 ・統一通貨や、統一言語は、どうなるのか?

 統一通貨の必要性が少なくなり(デジタル通貨は簡単に通貨間の換算できるなど)、独立的な財政を持つ自治体などが、通貨を発行する複数通貨が合理的になる。統一言語も無理に統一する必要性がなくなり(IT手段で翻訳できるなど)、それぞれの民族や国家が多様性を発揮できる方向に、世界が動いていく。

 ・ITは、どう役立つのか?

 オカネや、コトバは、形態としては、情報の塊であるので、ITはツールとして、この分野の研究と応用にますます利用されるでしょう(たとえば、Excelは、オカネの計算に、Wordは、コトバの記録に)。たとえば、BMIなどの技術が実用化されれば、影響は大きいでしょう。

 ・経済学や、言語学がどうなるのか?

 経済学は、社会学(経済活動にとどまらず、ボランティア活動なども含めた社会活動全体が対象)の一部門として扱われるでしょう。
 言語学は、情報科学の一部門としての表現あるいは表象科学(音楽なども含む)として再編成されるでしょう。

 最後に、オカネもコトバもよかれと思われた人為的な改革や、改善の試みがいかに不調に終わったかについて、触れておきます。

 かってのソ連では、オカネの役割を縮小し、経済活動を根本的に変革する計画経済を目指しましたが、不調に終わりました。ザメンホフが提唱したエスペラントは、普及せず、漢字の廃止を目指した、毛沢東の意図は実現しませんでした。

 続く 



 平成24年6月

 北村 拓郎

 




  オカネ・コトバと人間 00000006 2013年02月06日 北村拓郎

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 ヒトは、生まれてから、生涯を終えるまで、一人では生きていくことができません。人間とは、ヒトとヒトとの間で生きるというこです。

 すべての人間は、お互いに、他の人に支えられて生活してしています。このとき、子供や老人や、病人も含めてすべての人が、支え合いの対象です。なぜなら、すべての人間は、子供として、成長し、壮年期を経て老人になり、明日はわが身をわきまえざるをえません。病人や、子供などの社会的弱者を支えない社会は、人間社会にもとり、うまく機能しません。

 オカネとコトバの目的(意義)は、このような支え合いの大きな手段です。

オカネは、異なる共同体の間での交易の手段として始まり、現代でもこの役割は変わりません。現代社会では、多くの共同体は解体され、企業や自治体の擬似共同体となり、共同体としては、家族のみが残されています(オカネは、擬似共同体あるいは、共同体の間での取引関係に使用されますが、結局は共同体間(現在では家族)の取引関係に清算されます)。
 オカネの効用はいろいろありますが、第1義的には、共同体間での、分業を促進することです。分業は、オカネによって、成り立っており、ひとびとの支えあいを円滑化します。しかし、注意しなければならないのは、手段であるオカネが一人歩きして、目的がおろそかになることです。たとえば、経済性を第一として、原発のような人倫にもとるものが、稼動することです。あるいは、病人や、老人や子供などの支えをおろそかにすることです。

 コトバは、第一義的には、人間の相互理解を深め、支え合いを確かなものします。しかし、虚飾に満ちたコトバは、人間社会を偽善に導き、人間同士での不信を助長します。

 ITは、オカネとコトバの本来の意義を高め、より効率的なものにできますが、同時に、本来の意義に反する使い方も可能な、価値中立的な手段に過ぎません。

 平成25年2月
 北村 拓郎








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