1.縄文時代
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湯浅湾に浮かぶ鷹島に製塩所がありました。
島の窪地に、今も製塩土器が埋まっています。
この頃から、湯浅湾を囲む周辺には、塩を消費する多くの人々が住んでいたのでしょう。
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湯浅町栖原で、最近(2006年)防波堤を造るために海底を浚渫したところ、厖大な量の大きな貝殻が出てきました。
博物館の専門家の鑑定では、6千年程前の縄文時代の貝塚だそうです。
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2.五世紀の頃に大古墳
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5世紀には、湯浅に国家級の大きな円墳が造られました。
天神山古墳です。埋葬者は不明ですが、二つの石棺があり、その一つが現存します。
大和の卑弥呼が3世紀ですから、この町も相当古くから栄えていたのです。
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3.平安時代に湯浅党
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町の中を南北に貫いて熊野古道が通っています。
幅3〜4mで、地下に排水溝を備えた立派な街道で、道町(どうまち)と言い、宿場町として栄えていました。
この頃、湯浅党が興ったのです。湯浅の鎧、兜、太刀は有名ブランドだったそうで、今も鍛冶屋町(かじやまち)として名が通っています。
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4.湯浅を囲む4つの山城
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平安、鎌倉、南北朝、室町、戦国、安土桃山時代にかけて、湯浅には
4つの山城が築かれました。
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・広保城・・・・1140年頃。 湯浅党が旗揚げした山城 |
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・湯浅城・・・・1142〜1446、 湯浅党300余年の拠点 |
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・高城城・・・・1400〜1522、 畠山氏が湯浅の町を治めた山城 |
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・白樫城・・・・1522〜1615、 白樫氏が湯浅の町を治めた山城 |
この4つの山城は、奇跡的に今も手つかずのまま現存します。
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5.江戸時代の繁栄
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江戸時代も湯浅の町は、商工業の町として盛んでした。
地下水の水質が良く、水量も豊富で、特に醸造業、金山寺味噌や醤油が有名です。
町は戦災をまぬがれ、今も江戸時代そのままの街並みが、国の「重要伝統的建造物群」に指定されています。
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6.湯浅姓の全国分布
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北海道 |
499 |
京都 |
631 |
青森 |
10 |
大阪 |
444 |
岩手 |
6 |
奈良 |
59 |
秋田 |
4 |
和歌山 |
80 |
宮城 |
19 |
兵庫 |
297 |
山形 |
2 |
鳥取 |
229 |
福島 |
120 |
岡山 |
512 |
新潟 |
115 |
島根 |
229 |
茨城 |
91 |
広島 |
214 |
栃木 |
41 |
山口 |
79 |
群馬 |
489 |
香川 |
87 |
埼玉 |
241 |
徳島 |
675 |
千葉 |
1314 |
高知 |
16 |
東京 |
414 |
愛媛 |
28 |
神奈川 |
336 |
福岡 |
155 |
富山 |
103 |
大分 |
103 |
山梨 |
11 |
佐賀 |
9 |
長野 |
58 |
長崎 |
75 |
石川 |
52 |
熊本 |
27 |
岐阜 |
41 |
宮崎 |
305 |
静岡 |
66 |
鹿児島 |
40 |
愛知 |
405 |
沖縄 |
2 |
福井 |
40 |
合計 |
8854 |
滋賀 |
66 |
三重 |
185 |
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